この論文は、フロイトが構想していた『メタサイコロジー序説』という、自身の構築した人間の無意識、意識における精神構造に関する一連の論文集に収められるものだった。その中で最も長く難解な論文であり、S.Eの英訳者のストレイチーいわく「メタ心理学的諸論文の頂点にあることは間違いない」という。この論文は1915年の4月には『欲動とその運命』『抑圧』『無意識』の3つが書きあげられたが、驚くべきことは、『無意識』論文は3週間もかからずに書き終えたということだ。1914年は第一次世界大戦がはじまり、そのために市民の暮らしは一変、その影響がフロイトの患者の生活にも及んだらしく、フロイトの財政状況は苦しいものになっていた。また、戦争の余波により出版業界も不況で、『精神分析年報』も1914年は発行されなかったようだ。国際精神分析学会の会長を務めたユングがフロイトから離反したこと、若い弟子がみな戦争に行ったことなど、フロイトを取り巻く状況は孤独で厳しかったが、執筆業はその速度を緩めることはなかったようだ。
本論文は全7章で構成されている。初版では章立てされていなかったが、論文の長さを考慮してか、1924年版から章立てされるようになった。第1章では無意識の正当性について論じられている。ここで展開されるのは、無意識の存在を否定、あるいは心的なものに帰属しないとする立場を相手取った論考である。日頃意識されているものが我々の持ちうる情報のごく一部だけでしかなく、それらは普段は潜在的な状態にあることから、その領域があることを想定し、「心的なもの」≠「意識」だとフロイトは主張する。フロイトの構想は、精神分析の実践経験から帰納的に構築されていった。フロイトの立脚点は現場にあるために、実践での介入によって得られた患者に生じた変化にある。戸川(2018)は、このような形で構築されたこの「メタサイコロジー」に関する一連の論文を、生物学と哲学のどちらかに振られるような他のメタサイコロジーに関する論文と一線を画すものとして、「精神分析独自の方法論的意識を持って包括的な理論構築を試みた、その出発点を示す「書物」」とし、「フロイトの臨床的思考の可能性が最もつまった論集」「全体が明瞭な意図と論理構造をそなえたもの」と評している。つまり、本来の自然科学としての研究法では、基礎研究に基づいて得られた結果から次なる仮説を立て、検証し、基礎と応用という展開を辿る。一方で、哲学においては実践という検証の場は不在となる。フロイトは、神経症者の分析治療という検証の場を絶えずその中心において、理論を構築していった。ただこの実践からの理論構築というやり方において、フロイトはやや強引な論法で進めていく。
文献
Freud,S (1915) ’Das Unbewusste’,Gesammelte Werke,Bd.X,264 (十川幸司訳『メタサイコロジー論』、講談社学術文庫、2018)
J.Quinodoz(2004) LIRE FREUD:Decorverte chronologique de l’oeuvre de Freud, Universitaires de France(福本修監訳『フロイトを読む-年代順に紐解くフロイト著作』、岩崎学術出版、2013)
Peter,G(1988) FREUD A Life for Our Time,W.W.Norton & Company, Inc.,New York/London(鈴木晶訳『フロイト2』、みすず書房、2004)