複雑性PTSDは、幼少期の虐待、家庭内暴力、長期的な支配関係など、繰り返される対人トラウマ体験によって生じる心の障害とされる。単発的なトラウマによるPTSDとは異なり、自己感覚や感情の調整、対人関係に広く影響を及ぼす。例えば、「自分には価値がない」「誰も信用できない」といった感覚が、日常生活に深く根づいてしまうことも少なくない。些細なきっかけで記憶が賦活されてしまい、自分の身を守るための防衛的な心の動きがあり、周囲への警戒が強まる。友好的な自分から敵対的な自分への移行は、自分自身が二分されているような感覚になることもある。
トラウマに治療に関する研究を見ていくと、そこにはトラウマ治療においてはある種の二律背反があるように感じられる。トラウマ治療では、トラウマ焦点化心理療法や持続的エクスポージャーといった技法が効果的であるということが示されている。これらの治療技法においては、いずれもその過程で、トラウマ記憶の賦活やそれに関連する場面などへの接近などが組み込まれている。例えば、持続エクスポージャー法(1回90分で週1回10~15回ほどの暴露療法プログラム)では、トラウマ体験の記憶を繰り返し想起陳述し順化を促す「イメージ暴露」と陳述内容について語り合う「プロセシング」から構成される。また、心的外傷を治療してきたアメリカの精神科医であるジュディス・ハーマンの治療論においても、「想起と服喪追悼」というフェーズがある。これらのことが指し示すのは、効果をもたらす治療では、ほぼ必ずトラウマ記憶と向き合い、それと言語的に接触し治療者と共有する段階を踏むということである。確かに、トラウマによって生じる患者の抱えている生活上の困難に対して、外傷に関する記憶や体験を絶えず新鮮な不安を引き起こすものから、慣れた(順化した)ものに変容できたのなら治ったと言えるだろう。
しかし、このような画一化治療論の一方で、トラウマ治療が困難となる背景には次のような理由がある。それは外傷によってもたらされたこの世界への根源的な不信感が土台にある。飛鳥井が指摘するように、被害者側から見たときの世界は、セラピスト側の視点とは大きく異なる。被害者がセラピストからのケアを受ける場面に際して、これまでの外傷的体験から、そもそもセラピストのことを保護してくれる存在として信じて良いのかという不安を抱いて治療に訪れる。そして、実際に治療が開始すると、先に示したように、あるプロセスで「セラピストが」トラウマ場面に曝そうとしてくるのである。すなわち理性では治療の過程として理解されていたはずだが、無意識的に恐れていた事態が引き起こされるのである。これは新たなトラウマとして体験されるリスクが秘められている。したがってトラウマ治療のために、トラウマに再び曝されるというジレンマを乗り越えることが必要とされる。そのためトラウマ治療の根幹は、治療場面が外傷体験の反復となることを防ぐための、初期段階における十分な「安全の確立」にあるといえる。実際に、トラウマ治療を専門とするいずれの治療者も必ず初期の段階に、「安全な関係性の中で自分を守る感覚を取り戻す」ことが重要であることを示唆していることからも裏付けられる。
参考資料
飛鳥井・神田橋、他(2022)複雑性PTSDとは何かー四人の座談会とエッセイー 金剛出版