「人生の脚本」
これはベストセラーとなった一般向けの概説書『カウンセリングとは何か』で、東畑(2025)が用いた言葉です。
心の脚本と言っても良いかもしれません。例えば、ある人はいつも悲惨な体験をするのに、支配的で暴力的な男性を交際相手にしてしまいます。ある人は親しい関係を築きたいのに、いつも途中で距離を取ってしまいます。ある人は、とても大切にしたい相手なのに、その相手が去ってしまうことが不安でかえって苦しめるようなことをしてしまいます。このような問題が人生の長期にわたって似たような境遇で繰り返されることがあり、いつの間にかその人の人生が窮屈だったり、まるで自分のものではないように感じられたりするようになります。精神分析的心理療法では、このような出来事の繰り返しを反復強迫と呼び、その人の意識していない、心の脚本が影響を及ぼしていると考えます。
「心の脚本」はいかにして作られたのか。
心の脚本は生まれた瞬間から、周囲の環境、対人関係の中での経験を通して書き込まれ、作られていくものです。精神分析の考えでは、私達はそもそも自分の心を完全にはコントロールできないという前提があります。喜び、怒り、悲しみ、後悔、恥じらい、失望など、様々な情緒、これらは外側で起きた出来事によって私達の心に到来します。これらを出てこないようにすることは、病的な対処(解離、身体症状への転換など)をする以外には、ほぼ不可能でしょう。生活の中で到来する様々な情緒を自分の体験として生き生きとしたものにできるのが心の役割です。しかしこの役割は一人で生きていては機能することはありません。生まれたときから、母親、父親、親類、社会集団という対人関係の中で、心が育っていきます。しかしまったく同じ環境は存在せず、まったく同じ関わりも存在せず、同じ人も存在しません。そのため、それぞれの人がそれぞれの環境の中で「心の脚本」を刻まれていくことになります。すべての人が「心の脚本」を持っていて、それが悪いものというわけではないのです。それを自分の人生として、生き生きとしたものとして、引き受けることができるのかどうか。精神分析は、望まずに備わってしまった心の脚本に変化をもたらすために、100年以上にわたって実践の中で研究を重ねて、無意識的空想、内的対象、防衛などといった様々な概念を見出してきました。
心を揺り動かす
私たちは本当の気持ちや情緒を、自分にとって、あるいは周囲の環境にとって受け入れやすい形にして感じるようにする「心の防衛機能」を持っています。この「防衛機能」はほどよく機能していることが大切なのですが、弱かったり、過剰だったりすると、心の脚本の問題がより深刻なものになりがちです。
精神分析的心理療法は、このような心の脚本や防衛機能が、カウンセリング時間に染み出てくることを狙います。特徴的なやり方として「自由連想規則」があります。これは「頭に浮かんだことをできる限りすべてそのまま言葉にする」というものです。自由に話すのではなく、たとえ話したくないことでも、恥ずかしいことでも、道徳的に反することでも、頭に浮かんできた以上は言葉にする、そういう規則になります。これは治療開始から終了まで、ずっと維持されるスタンスですが、実際にやってみるとかなり難しいことがわかります。
このように、頭に浮かんだことにゆだねるやり方を維持していくと、少しずつその人の心の防衛や脚本が動き出します。信じがたいことではありますが、カウンセラーに対して様々な情緒を向けるようになり、このような脚本の再演(専門的には「転移」と呼ばれます)がカウンセリング中に行われます。そして、今ここで起きたことについて、何が起きているのか、何を感じたのか、などを考えていくことが、心の脚本への変化をもたらすのです。
心を揺り動かすことがプロセスの要素として組み込まれています。そのために、精神分析的心理療法では頻度はとても重要な設定になります。毎回のセッションで激しく動揺するわけではありませんが、安心して心を揺り動かす、安心して心が揺れ動くという一見矛盾している状況をこしらえるには、それなりの高い頻度で一定のペースで会うことが約束されている必要があるのです。
精神分析的心理療法は、その人の考えられていない心の深い部分を取り扱うものです。長年にわたって根を張りがんじがらめになった状態を少しずつ解きほぐすようなプロセスなので、その期間も定まっていません。このようなカウンセリングが効果を持つには、モチベーションは必須ですし、コンディションも重要です。当相談室では、精神分析的心理療法のご希望があった場合でも、利用者にとって本当に「今」役立つやり方なのかをじっくりと判断する必要があると考え、予備的なセッションを設けるようにしています。もしご希望があればぜひお問い合わせください。
